退職時に考えていたこと

以下の文章は、2003年3月に三菱化学株式会社を退職するに当たり、イントラネットのサイトに載せた文章である。今読み返すとかなり恥ずかしい部分もあるのだが、もう何年も経ったことだし、一般公開するのも悪くないという思いが出てきた。初心忘れるべからずという意味もあり、たまには自分でこういう文章を読み返すのも悪くないという気もするし、もしかしたら誰かが読んで何か得ることや感じることがあるかもしれない、ということで、ちょっと長いけど、そのまま掲載する。


 1.はじめに

思うところあって、この3月末をもって三菱化学を退職することになりました。(思うところがあったくらいで辞めるか?という突っ込みがありそうですが、逆 に思うところもなしに辞めるか?とも言えるわけでして)

本来であれば、お世話になった方々、一人一人にお目にかかり、ごあいさつすべき所ですが、なかなかそうもいかず、この場をお借りして 「思うところ」の一端を書き連ねておこうと思います。

2.何故今なのか?

さて、少し前に、45歳を迎えるにあたり自分の人生を振り返ってみました。生まれてからの5年間は人間未満ということで除くと、残りの40年間は、5歳で 幼稚園に入ってから25歳で大学院を出るまでの20年間という教育期間と、三菱化学に入社してから45歳までの20年間の実務期間を過ごしたことになりま す。そして今後85歳まで生きるとすると(ずうずうしいのでもっと長生きするかも知れないが、さすがにそれから先は赤ん坊時代と変わらんだろう)、残りが 丁度40年。つまり、いろいろな意味で節目でもあり、折り返し地点と言える絶妙のタイミングです。

入社してからの21年というものは、オンザジョブで主として手連手管に類する処世術やら実業の知識を身に付けながら、それなりに生長 してきたとは思いますが、そのベースになっているのは、それに先立つ20年間の教育期間で身に付けた知識や考え方にあったと思います。10年一昔と言いま すが、特にサイエンスの世界をその拠り所とする職務を遂行していく人間にとっては、20年という年月の進歩に着いていけなくなることに、大きな恐れを感じ ざるを得ません。(個々の技術というよりは、生命観、環境観、宇宙観、物質観というような基本的なサイエンスの枠組みの捉え方のようなものがダイナミック に変わっていってることを知らないことが怖い)

日々の仕事をそつなくこなしながら、その仕事を通して少しずつ新たな知識を取り入れて自分の中の知識をアップデートしていく。特に今 後の自分の仕事を想定しながら、事前にそこで必要となることを勉強していくのが、正しく賢い社会人の生き方だというのが筋論だとは思うのですが、少なくと も、正しくもなく賢くもない、不器用で怠惰なわたしはそれが十分にできてきたとは到底言えません。(一応、本を読むのが好きなので、継続して乱読多読をし てきたけれど、所詮、片手間。じっくりと腰を落ち着けて理解するというところには至りませんでした。)

この先の40年、人生の後半戦を迎えるにあたり、自分の内部に蓄積されているものと、今後を戦っていく場で必要となるものとのバラン スがどうも問題だ、ということを強く感じたわけです。ちんたらとごまかしながら生きていくことも可能だとは思うし(節電モードで放電しながら使い切 り?)、気合いを入れて仕事をしながら充電を続けること(トリクル充電で長持ちさせる?)も可能でしょう。わたしの場合には、一度電源を切って新品の電池 に入れ替えるのも魅力的に思えたのですが、そこまで人生リセットするのもあんまりなので、とりあえず、電源切って再充電をするか(できれば満充電まで)と いう心境です。トリクル充電ってのはよほどうまくやらないと性能低下するらしいし。。

3.いつから考えたの?

随分前から、定期面談の度に「現状の職務に満足しているか?」という質問に、「満足していない」という類の回答をし、上司に質問されると「現状に満足した ら人間進歩がなくなります。」というようなとぼけた会話を毎年繰り返して来た困り者でした。

10年前、丁度バブルの真っ最中に、転職案内の電話やダイレクトメールが沢山舞い込んできた華やかな時期がありました。その頃、わた しは入社10年で、そろそろ仕事に疲れて息詰まりを感じていたので、大いに刺激され、三菱化学を出るケースを想定して自分には何ができるのか?を考えまし た。後からいろんな人の話を聞いたり見たりすると、「10年周期のアイデンティティ危機説」を唱えたくなるくらい、ふと陥る落し穴だったのかもしれませ ん。

そこで面談の時に「辞めたい」と素直に申し出たのですが、当時の上司は「わかった。しかしまだ若造だ、後10年位、他の仕事もやって みてから考えろ」とおっしゃり、わたしをさっさと転勤させてくれたのでした。

それから10年、面談でまたまた「辞めたい」と言ったら、今度の上司は「わかった。」と言って快く辞めさせてくれました。多分、私が 既に若造とは呼べなくなっているのと同時に、将来の可能性が10年前よりも小さくなっていたことが直接の理由でしょうか? いつの時代も上司の人を見る目 というのは、それなりに確かなものだと思ってます。(これでも何年間か「上司」やってきたし)

4.燃え尽きとリフレッシュ

入社当時は、三菱化成は体力採用だ、と言われてる時代でした。今の時代に勤務のハードさや勤務時間の長さを自慢しているのは、単なる阿呆と言われかねない のは、時の流れですねえ。でも、プロスポーツ選手などは、もし彼(彼女)が成功すれば、その練習時間の長さを褒め称えられるわけで、勤務の長さも、何かの 足しにはなったりもするとは言えないでしょうか? あくまでも成功すれば、ではあるけれど、成功するかどうかはやってからでなくてはわからないわけだし。

触媒のライフテストをやってるつもりが、実は装置のライフテストをやってたという笑い話がありますが、それにも増して、それを見守る 人間のライフテストをやってるみたいだ、という冗談が笑えない生活を続けてました。セブンイレブンだとかスーパーマンだとか、ウルトラマンだのターミネー ターだのと、全く人を何だと思っているの、というような呼ばれ方。でもね、ウルトラマンは1週間に3分しか働かないしねえ。

マニアックな性格なもので、自分の勤務実時間を毎日せっせと記録していた事がありますが、最高で年間4550時間の勤務をこなした年 があります。ついでに言うと、40年間定時勤務を続け、適当に有給使った場合の生涯労働時間を既に超えたという計算にもなってます。だからどうした、の世 界ですけど。

自分より若いプロスポーツ選手の引退を聞くと、何となく自分が歳を取ったなと実感しますが、それ以上に、スピード勝負の本格派投手が 技巧派に転向しきれずに引退するのは身につまされました。荒木大輔とかね。 で、自分も体力勝負でがむしゃらに仕事をしてきたけど、ここらで知性派に転向 すべき時期が来たと感じたのに、どうしても昔の癖が抜けきらない、という訳で、引退します、ってのは説得力ありませんか? 引退後は充電してから解説者に なりますってね。(でもどう見ても知性派ではないものなあ、外見からして既に。。)

本当はリフレッシュ休暇を楽しみにしてたのも事実です。本当はそろそろ休んでも良い歳なのですが、ご存知のように、私が倒れ込もうと する目の前で扉を閉めてしまったのです。あわれ、よれよれになりながら、あと少しでリフレッシュ!と思って走ってきたのに、また走れって言うの? ・・・ これは単なる愚痴です。

でも本音で言うと、人間リフレッシュは必要だと思います。きつい長い仕事がようやくケリがついても、何の休みも取らずに引き続き次の 仕事に入り込む、というようなメリハリのない生活を延々と続けるのはよろしくないでしょう。外国人を見ていると、自分の仕事のキリのついた所でパッと2週 間ぐらい休みを取りますが、あれはうらやましいというよりも、本当に重要だと感じます。

というわけで、私の場合には、怠け者なのでちまちまとした休みを取っても、うまく活用できないもので、今までほとんど有給休暇という のを取らずにここまで来ました。ここらで本当に休ませて、というのも悪くないような。流した有給は、およそ300日にも達する計算です。少しまとめて休み ましょうか。

これだと何だか、反面教師にはなるかもしれないけど、楽しくなさそうな生活してたのね、って感じですね。でもね、さすがに、これだけ 熱中してお仕事できるというのは、それなりに相当充実した毎日だから続いたのであって、それはそれで幸せってもんだと思ってますよ。

5.サラリーマンという仕事

実は随分前から、どうも会社勤めというかサラリーマンという職との相性が悪いような気がしてます。最近は特に身近な人の異動を多く目にしてきて、その一つ 一つの転身の事例を見てみると、自分の身に置き換えた時に、ウーム、とうならざるを得ないケースが多いと感じてます。今までの仕事つながりでの転勤であれ ば、本人にとっても周囲にとってもステップアップというポジティブな捉え方が容易なのですが、本当に転進しちゃうケースでは、果たしてどうなんだろう?と いうことなのですが。

まあ、「それがサラリーマン。イヤなら辞めれば?」「はい、辞めます」ってのは乱暴だけど、突き詰めればそういう部分もある。自分の 人生、自分で決めたるわい、ということですね。これは性格なのでしょうか?誰でもそう思っているけど自分を納得させているだけなのでしょうか?その時その 場所で求められている役割にスッと溶け込んでいける柔軟さが要求されるけど、それができますか?って自分に問いかけた時、正直ケースバイケースとしか答え られないです。

これまたどうでも良いことだけど、実は家族・親戚を見回しても、いわゆるサラリーマンを全うした人がほとんどいない。多分1割程度。 身近な人に限って見るとほとんどゼロ。という環境で育ったために、サラリーマン根性という奴がどんなものかを知らないって言えるのかな、と思ってます。関 係ないでしょうか?

6.モノづくり

最近、自分が入手したいと思う情報の種類が大きく変わってきていることに気付きました。いわゆる仕事上の専門情報(業界動向、技術文献、特許情報、等々) は必要に迫られる分についてのみ。むしろサイエンス全般の情報や、学生時代には見向きもしなかった技術史だとか、倫理学、社会学といった、どちらかという と世の中と科学技術の関わりのようなものに興味が移ってきたようです。

バブルのマネー狂想曲の頃には、世の中を本当に支えているのは、情報や金ではなくて、モノなのだ、と醒めた目で思っていたし、資源の ない日本では付加価値をつけたモノを作り続けることが真っ当な生き方だと信じてきました。モノづくりを誇りある仕事として選んだ、ジャパニーズエンジニア の王道を行くってところでしょうか?

ところが一方で、グローバル化の進んだ今日では、日本の産業(特に製造業)の空洞化への圧力は避けることのできない流れです。その流 れにうまく乗りながら、技術を外に持っていき、機会を外で手に入れる、というのは企業として当然の生き方だと良く理解できるのですが、それを更に押し進め ていった時に、果たしてメーカーである企業はどうなっていくのでしょうか? この質問は、ある意味で「日本人」とは何なのだろう?という質問に通じる危う さを持っているかもしれません。(日本に住む人?日本国籍を持つ人?日本人のルーツを持つ人?、、)結局、企業は誰のためのものなのか?という根源的な問 いにたどり着いちゃうのですね。

技術者・研究者が単に新たな技術やモノを研究していれば良い時代が終わり、誰がお客様なのかを考えなくてはいけない時代になったので すから、上記疑問は研究者の一人一人が意識して答えられなくてはいけない質問だと思います。直接お金を払ってくれるお客様だけでなく、最終的に誰にメリッ トをもたらすのか?或いは誰にデメリットを及ぼす可能性があるのか?その結果、我々社員はどのように満足を得るのか?それが社会からどのように評価され、 そして地域や国、世界に対してどんな形の貢献となるのか?

科学技術がどのような形で世の中に価値を生み出していけるのか?結局の所は、この問いに対する答えを探し続けているのかもしれませ ん。生活が便利で豊かなものになる、それはほんの一面でしょう。それによって失われるモノもきちんと評価したらどうなるのでしょう?5年後の世界ではな く、10年・20年のスパンで考えて、これから先、世界はどうなっていくのか?何が求められているのか?そんな世の中に科学技術はどう貢献していくべきな のか?そんな疑問に自分なりの答えを見出すために、冒頭にあげたような種々の本を読み始めたのだと思います。

ちょっと話がでかすぎて、ちょっと「あちら側」に行っちゃった人と思えるかもしれませんね。まあ、そうかもしれないけれど、そんなこ んなで、素直に技術開発の将来を信じられなくなったのは事実のようです。特に素材を作り出す産業の担い手である、化学会社の生き方というのは、これから先 非常に難しい局面があると思うのですが、残念ながら三菱化学の中でそれを正面から考え、議論して会社の進む方向を見出していこうという動きが見えてこない のも事実です。

7.組織で生きること

強い組織の作り方だとか、良いリーダーのあり方といった本やセミナーは沢山あるけど、理論よりも前に大事なことは、みんなの思いがまとまることですよね。 卵か鶏かの議論になるのかもしれないけど、少なくともリーダー達の意識が一つになっていることは最低限必要でしょう。

そもそも強い組織或いは良い会社って何だ?という疑問が解決しないとどうしようもないじゃないですか。まあ、会社は宗教じゃないか ら、帰依する必要もないし、盲目的に信じてしまう必要もないのだけれど、組織一丸となって目標に向かうことが必要だとすると、どう折り合いをつけていけば いいのかわからなくなってしまいます。そういう事は、何故か本にもセミナーにも出てこない。

イラクを攻撃しているアメリカ軍の中にも、この戦争に疑問を持っている兵士や将校がいるのだと思うけど、それでも彼らは圧倒的な力の 差があるから、圧倒的に勝利を収めるでしょう。まあ、そんな白黒をはっきりつけるような局面でなくても、自分たちの組織が進む方向はこれで良いのだろう か?という迷いのようなものは誰にでもあると思うし、世の中には必要悪のようなものもあるから、迷いながらも適当に折り合いを付けながら、進んでいけると いうのもあると思う。

組織を生きるってことは、そういうものだ、と言ってしまえば、これもまたサラリーマンの処世術という話だけど、リーダー自らがこうい う悩みを持ってしまうと罪も重いんじゃあないだろうか?

適当に折り合いを付けるのではなくて、自らが、世の中の未来を思い描き、その社会での我が会社の将来の在り方を想定し、それを上位概 念として自分の組織の使命を見出していく。それがリーダーのあるべき姿だと捉えた時、自分にそれができるのか?これまたえらく偉そうな大げさな話になっ ちゃったけど、そんなことを色々と考えてみて、会社の中での自分の限界が見えちゃった(どこまでできるか、何ができないか)という側面もあるんだというこ とです。

そんな次元の話にすり替える前に、そもそもの人格や性格の部分、或いはテクニックの部分で既にリーダー失格じゃないの?という話があ るのも承知の上ですけど。でも、こんなことをクヨクヨ考えているようじゃねぇ、話にならんでしょ。

8.一人の気楽さ

何だかんだと屁理屈こねているけれど、「沢木さんは独り者だから気楽でいいよね、家族持ちにはそんな選択肢はないですよ」という声が聞こえてきそうです。 まあ、それに対しては「気楽かどうかはともかくも、独り者という人生を選んだのも、いつの日か、こんな選択が可能となることを見越してのこと。家族持ちと いう生活を選んだということは、その時点でそういう将来の選択をしたということでしょう。」と答えるのかなあ。普通の人にとっては身を固める際に、自分の 将来の選択肢を狭めてしまうというようなネガティブな判断はないのかもしれませんが、わたしの場合は常に意識していたように思います。具体的なチャンスが あったかどうかというのとは別にね。

じゃあ、一人は気楽でいいよねえ、という話かというと、今度は逆に、新たな生活を開始する際のプレッシャーが少ないという点で、よほ ど自分の意志を強く持たなくては、ずるずると流されていってしまいそうです。何かあっても、支えてくれる人もいなければ、全て自分の力で前進しなくてはな らない。所詮結果が全て、理屈をいくら並べてみても、それでは腹の足しにはなりません。結局の所、己を信じて、セルフコントロールをするしかない。自分に 残された時間の中で、自分の人生で、何をしようとするのか?ここでもやっぱり、生きるって何?という青臭い話になるのですね。

そんなこんなで、自分と問い交わし戦い続ける・・どこか修行僧の世界に通ずるような。。。実は昔から仙人にあこがれているのでした。

まあ、当たり前の話だけど、一人は気楽だけど大変だよということですね。

9.これから

さて、どうするの?という話がスッポリ抜けてますね。三菱化学の重い看板を降ろして、無印沢木になるというのは、身軽になるなあ、という感慨はあるけど、 まだ実感はありません。さすがに何をするにもバックが何もないというのは恐いけど、恐い者知らずの世間知らずのままにここまで来た私には、しばらくそうい う生活をするのも良い薬ではないか、と自分で自分を納得させることにしています。

ここで会社から退職金をもらって辞めるかわりに、60歳以降も自分の力で生活をしていくことを決意したのですから、長期的展望に立っ て生活設計をしていくつもりです。60歳になって会社を引退してから、一人で新たな生活を始めるのに比べれば、新しいことを今始めるのは決して辛くはない と、前向きに考えています。

世の中は今、正に変革の時、社会の中にいろいろと歪みが出てきています。そんな中に、自分の力を活かせる場所がきっとあると信じてい ます。大企業の社員の立場ではなくニュートラルな立場で、サイエンスやケミストリーをベースとして世の中に貢献していけたらいいな、と思ってますが、まだ まだ具体的な絵になってません。

で、そのためには当面はお勉強だと思ってます。人生の後半戦を闘う場を求めて、世の中の仕組みや社会のメカニズムなどを、今までとは 少し違った視点から学び直し、それと同時にサイエンスの土俵で自分の知識や判断力を鍛え上げてみたいと思います。その上で、これまでのそしてこれからの、 人との出会いを大事にしていこうと思ってます。人生、何が何処でどうなるか?は誰にもわからないじゃないですか。だからこそ、規定の路線からはずれてフラ フラと歩き出すのも、スリリングで楽しいものになるんじゃないでしょうか?

厳しい世の中に、こんな程度で単身出ていくのは不安一杯の部分も確かにあるけど、一方で自分の力を試してみたいという想いと、根拠の ない自信に裏付けされた楽観主義で、きっと頑張っていけると思うし、そういう自己責任の人生を、ある意味で楽しんで生きていきたいと思ってます。

10.最後に

送別会続きの半月あまりの毎日が過ぎ去り、ついに最後の日となってしまいました。まだ全然実感がないのですが、明日からは、行きたいと思っても、行く会社 が何処にもない生活となります。この間、本人が思ってた以上に多くの方々から沢山の暖かい言葉を掛けていただき、本当に幸せ者です。人というのは貴重な財 産なんだなあ、と今更ながらしみじみと胸に刻み込んでいます。こういう経験をした人は、あまりいないと思うので、その意味でも貴重な体験になったと思いま す。

何年かして、「あいつ頑張っているなあ」と言われるように(言わせるように)後悔のない人生を歩んでいきたいと思ってます。皆さん も、わたしが「三菱化学グループに残っていれば良かったなあ」と悔しがるような良い会社にしていってくれれば、共にとてもエキサイティングで楽しいと思い ませんか?

ここまで、こんな中身のない駄文に付き合ってくれた皆さん、本当にありがとうございました。もしかして、ほんの少しだけでも皆さんが 自分の今後の会社生活や、これからの人生について思いめぐらすきっかけになれたとしたら、望外の幸せです。これからは、お互いに立場は異なることになりま すが、充実した良い人生を歩んでいきましょう。何処かでばったりと再会した時には、楽しく語り合いたいと思いますので、是非遠慮なく声をお掛け下さい。で は、いつかどこかでお会いできる時まで。「さようなら、頑張れぇ!」

2003/3/31

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